奈良県奈良市にある「興福寺」。
古都奈良のシンボルでもある興福寺の五重塔は、天平2年(730)に藤原不比等の娘、光明皇后の発願で建立されました。
現在の塔は、応永33年(1426)頃に再建されたものです。
創建当初は、各層に水晶の小塔と垢浄光陀羅尼経(くじょうこうだらにきょう)が、また初層には四天柱の各方向、東に薬師浄土変、南に釈迦浄土変、西に阿弥陀浄土変、北に弥勒浄土変が安置されていたといわれ、当時日本で最も高い塔でした。
現在は、薬師三尊像、釈迦三尊像、阿弥陀三尊像、弥勒三尊像(いずれも室町時代作)が初層のそれぞれ須弥壇四方に安置されています。
五重塔(国宝)
五重塔の特別公開時
普段は非公開です。定期的に公開されるわけではないので、次回の特別公開は未定です。※2021年5月現在
五重塔の内部(パンフレットより)
薬師三尊像、釈迦三尊像、阿弥陀三尊像、弥勒三尊像が須弥壇四方に安置されています。
三重塔(国宝)
南円堂の西側にある三重塔。普段は非公開であり、気付きにくい場所にあるので、いつもはひっそりしています。
毎年7月7日の弁才天供のみ特別公開されます。
三重塔は、崇徳天皇の后妃・皇嘉門院(こうかもんいん)の発願によって、康治2年(1143)に創建。治承4年(1180)に焼失し、間もなく再建されたといわれています。
北円堂と共に興福寺で最古の建物。
皇嘉門院(=藤原聖子)
第75代・崇徳天皇の皇后。父は藤原忠通、母は藤原宗子。
保元元年(1156年)の保元の乱では、父の藤原忠通と夫の崇徳上皇が敵に分かれて戦い、敗れた崇徳上皇は讃岐国へ流罪となりました。
三重塔の弁才天坐像
明治の廃仏毀釈以降、現在の内陣には、かつて興福寺子院であった世尊院の弁才天坐像とその諸尊(十五童子)が安置されています。
弁才天坐像は弘法大師勧請の伝承があり、頭部に白蛇神を載せ、宇賀神と習合した姿をしています。
三重塔の内部(パンフレットより)
<法相宗大本山 興福寺・五重塔 三重塔>
【住所】奈良県奈良市登大路町48
【電話】0742-22-7755
【時間】9:00〜17:00
【拝観料】東金堂 大人300円/中金堂 大人500円/国宝館 大人700円
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