奈良県奈良市にある「伝香寺(でんこうじ)」。
伝香寺は戦国時代の大名、筒井順慶の菩提所として建立されました。
筒井順慶(つつい じゅんけい)
天文18年(1549)~天正12年(1584)
父の死により2歳で家督を継ぎ、筒井城主となる。永禄2年(1559)松永久秀に筒井城を追われ、同9年得度し、陽舜房順慶と名のった。その後久秀に抵抗し、織田信長入洛後、明智光秀の助けで信長に仕える。天正8年(1580)大和国を与えられ、郡山城を築いた。
天正10年の山崎の戦いでは、兵を洞ヶ峠に留め置いて勝敗の行くえを見守り、結局豊臣秀吉に従い、光秀に味方しなかった。
この故事から、ことわざ「洞ケ峠を決め込む」で知られる。
意味:信念を持たずに形勢をうかがって、いつでも優勢なほうに荷担できるように待機する狡猾な態度。日和見み主義。
表門
諸記録によると、この地は奈良時代に唐より来朝され唐招提寺を創建された、鑑真大和上の高弟・思詫(したく)律師が、天平宝亀年間(770~780)に、故国を偲んで唐風の庵を結んだ処で、実円寺と称されていました。
その後、天正13年(1585)、筒井順慶の母・芳秀(ほうしゅん)尼は息子の菩提を弔うため寺院の建立を発願。正親町天皇の勅許を賜り、実円寺を再興して伝香寺と改めました。
伝香寺といえば、裸形像に実際の着物を着用させた「はだか地蔵尊」が有名です。
鎌倉時代に妙法尼らによって発願された像で、普段は非公開ですが、毎年7月23日に行われる年に一度の「衣替法要」では、一般参拝できます。
裸形地蔵菩薩立像(重要文化財)
鎌倉時代作、像高97.3cm
胎内納入品の願文により、安貞2年(1228)の年記が認められ、仏師は善円と推定され、春日社の本地仏であることが判明しました。元は興福寺延寿院の本尊。
どんどん脱がされていくお姿を直視していいのか、申し訳ない気持ちになりつつパシャリ。
真新しいお着物に着替えられ、キリリとされました。
本堂(重要文化財)
天正13年(1585)8月11日、順慶の一周忌に建立されました。
近世の遺構が余り多くない奈良においては、建立年代の明確な桃山時代の建築物です。
境内にある椿は「散り椿」と呼ばれ、奈良三名椿の1つとして親しまれています。
花びらが1枚ずつ散ってゆくことに由来します。3月下旬が見頃。
奈良三名椿
伝香寺「散り椿」、東大寺開山堂「糊こぼし」、白亳寺「五色椿」
7月は椿の時期ではないので、実際の椿は見られませんでした。なので、購入したポストカードを載せておきます。
ポストカード
参拝のしおり
<伝香寺>
【住所】奈良県奈良市小川町24
【電話】0742-22-1120
【時間】9:00〜17:00
【休日】月曜日
【拝観料】300円
【特別公開】2021年7月23日(金) 地蔵菩薩立像特別公開
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