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伊達政宗の廟所「瑞鳳殿」@宮城



宮城県仙台市にある「瑞鳳殿」は、伊達政宗が今も眠る廟所(びょうしょ)です。

廟所とは祖先や貴人の霊を祭った墓所のことです。


伊達政宗は、寛永13年(1636)70歳で生涯を閉じました。翌年の1637年に、政宗の遺言により現在の場所に瑞鳳殿が建てられました。


桃山文化の遺風を伝える豪華絢爛な廟建築として、1931年に国宝に指定されるも戦災によって焼失。現在の建築は1979年に再建されたものです。



瑞鳳殿は、現在(2021年5月11日まで)臨時休館中です。

地震とコロナで大変な状況のようです。(私が行ったのはだいぶ前です)



涅槃門


瑞鳳殿の正面門の「涅槃門」。涅槃(ねはん)とは、煩悩を取り去った悟りの境地であり、広くは死を表す言葉でもあります。


正面扉上部の蟇股には瑞獣「麒麟」、左右の妻飾には「牡丹と唐獅子」など焼失前と同様の豪華な飾り彫刻が施されています。


拝殿


瑞鳳殿




感仙殿


二代藩主・伊達忠宗(1599〜1658)の霊屋。伊達忠宗は政宗の二男。

当時は本殿、唐門、拝殿、御供所、廟門などの建築からなる華麗なもので、瑞鳳殿とともに国宝に指定されましたが、戦災によって焼失。現在の建築は1985年に再建されたものです。


感仙殿の隣には、三代藩主・伊達綱宗(1640〜1711)の霊屋「善応殿」もあります。

伊達綱宗は忠宗の六男。こちらも当時のものは戦災によって焼失。感仙殿とともに1985年に再建されました。(写真撮り忘れました)



ここで、三代藩主・伊達綱宗?と私は疑問に思いました。松島にある円通寺の伊達光宗は?政宗の嫡孫なのに藩主になっておらず、場所も仙台と松島で離れているし?そんな孫の菩提寺が政宗の菩提寺である瑞巌寺の隣にあるという特別待遇なのはなぜ?と疑問に思い、調べてみました。

 

二代藩主・伊達忠宗は二男ですが、政宗の正室の子なので嫡男。

光宗は寛永4年(1627)忠宗の二男として誕生。

兄がいましたが、7歳で夭折したため光宗が後継となります。


光宗の母、振姫は家康の孫にあたり、叔父である徳川秀忠の養女になった後、忠宗に輿入れ、正室となる。家光とは従兄弟の関係にある。

徳川家光より「光」の字を賜って光宗と名乗る。


光宗は将来の藩主として期待されましたが、正保2年(1645)19歳で早世。

円通院は光宗の霊廟として、正保4年(1647)に建立される。

万治元年(1658)に忠宗が亡くなり、綱宗が三代藩主となる。

 

つまり、①光宗は徳川家と強い関係があり(光宗が亡くなった時、将軍は家光の時代)、②まだ父の忠宗が存命であったことから瑞鳳殿ではなく別の場所で、③期待されていたのに若くして亡くなったので弔いとして、円通寺が建てられた、ということでしょうか。


ちなみに三代藩主・伊達綱宗(母は貝姫で忠宗の側室)は、酒色に溺れて藩政を顧みない暗愚な藩主とされているそうです。藩主として不適格とみなされて、幕命により万治3年(1660)、不作法の儀で21歳で隠居させられています。

その後、家督は綱宗の2歳の長男・綱村が継ぎ、そのことから伊達騒動(お家騒動)へとつながります。うーむ。


 

<瑞鳳殿>

【住所】宮城県仙台市青葉区霊屋下23-2

【電話】022-262-6250

【時間】9:00〜16:50(2月〜11月)

【拝観料】大人570円/高校生410円/小・中学生210円

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