
源義経最期の地とされる、岩手県平泉町の「高館義経堂」。
ここはかつて、義経公が身を寄せていた「衣川館」があった場所です。この地で義経公が妻子とともに悲しい最期を迎えました。
兄である源頼朝に追われた源義経は、奥州藤原氏三代・藤原秀衡の庇護を受け、高館に居館を与えられました。それが衣川館(ころもがわのたち)です。
ところが秀衡が病没したのち、跡取りである四代泰衡は頼朝からの度重なる圧力に耐えかね、1189年、父の遺言に背いて衣川館を急襲してしまいます(衣川の戦い)。義経に付き従ってきた武蔵坊弁慶などの忠臣たちが応戦するも、圧倒的な数の差に敗れ、義経は妻子と共に自害したと伝えられています。



高館義経堂
1683年、仙台藩主第四代伊達綱村公が、若くして命を絶たざるをえなかった義経公を偲び、この地に高館義経堂を建てました。

高館義経堂の御本尊・源義経公像

義経堂のそばにある「源義経主従供養塔」。昭和61年、藤原秀衡公・源義経公・武蔵坊弁慶800年の御遠忌を期して造立されました。

有名な松尾芭蕉の句。1689年、東北を巡る旅の途中で、ここ高館で詠まれました。
「夏草や 兵どもが 夢の跡」

束稲山(たばしねやま)
西行法師は平泉を訪れた際に、その景観に驚き下記の歌を詠みました。
「聞きもせず 束稲山の 桜花 吉野のほかに かかるべしとは」
西行法師は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての僧侶、歌人。

高館からの素晴らしい眺め。
遠く東北まで逃げてきた義経を偲ぶに相応しい静かな場所でした。
思えば遠くへ来たもんだ……と思ったかどうか。
<高館義経堂>
【住所】岩手県西磐井郡平泉町平泉字柳御所14
【電話】0191-46-3300
【時間】8:30〜16:30
【拝観料】大人300円/小・中学生100円
【定休日】年中無休