ずっと行きたかった鹿島神宮へ行ってきました。
「神宮」とは皇室とつながりの深い神社のことで、平安時代に「神宮」と表記されたのは「伊勢神宮」「鹿島神宮」「香取神宮」の3つだけだったそうです。
ここを参拝すると、”人生のターニングポイントを迎える”と言われています。
■ 国譲りの立役者「武甕槌大神」
鹿島神宮の御祭神は、武甕槌大神(タケミカヅチノオオカミ)。※以降タケミカヅチ
古事記によると、天照大御神は香取神宮の御祭神である経津主大神(フツヌシノオオカミ)と共に、出雲の大国主神と交渉し、国譲りさせるよう命じました。タケミカヅチが派遣される前に、たくさんの使者が大国主神との交渉に臨みましたが、ことごとく言いくるめられ、あちら側についたりして戻ってきませんでした。そんな中、最後に遣わせられたのがタケミカヅチです。
武神として知られるタケミカヅチ。交渉といっても、剣を波の上に逆さに突き立て、その切っ先の上に胡坐をかいてみせ、それを見た大国主神はタケミカヅチの武の力を悟り、自分の子らに選択を委ね(体面を守るため?)、子の一人の事代主神はすんなり服従し、もう一人の建御名方神はタケミカヅチに力比べを持ち掛けるも、破れて降伏しました(この取り組みが相撲の起源だと言われています)。これによって国譲りが行われました。
剣を逆さにしてその上で胡座をしてみせた、という件は、あくまでも国譲りは血を流さずに行われたんだ、ということを示すための逸話だと解釈しているのですが、その後の相撲で結局いざこざはあったの?という感じですが、相撲だから流血はしていない、ということでよいのでしょうか。とりあえず、平和解決?ということで。
創建は神武天皇元年とされ、初代天皇の頃なので、2600年以上前ということになります。
神武天皇が東征し、日本を建国したとされる「神武東征」神話。その東征中の苦境の時、タケミカヅチの神威によりピンチを救われ、その神恩に感謝して創建されたのが、鹿島神宮とのことです。
先日の台風の影響で、大丈夫か不安でしたが、木々の修復などがまだ途中という感じでしたが、そこまで大きな被害はなさそうで、安心しました。
奈良・春日大社の創建時に、御祭神としてタケミカヅチをお迎えになる際、遠く鹿島から奈良まで白鹿がタケミカヅチを背にお乗せした、という伝説により、鹿島神宮では鹿は神の使いとされています。もちろん春日大社でも鹿は神使です。
境内奥にある「御手洗池」。1日に40万リットル以上の湧水があり、昔は参拝する前にここで禊をしたそうです。現在では、年始に200人の人々が大寒禊を行います。
御手洗池の御神水は、その場で飲むことも出来ますし、持ち帰る方もいらっしゃいます。
日本の国家「君が代」の歌詞に出てくる、さざれ石。
君が代は 千代に八千代に さざれ石の 巌となりて 苔のむすまま
「君が代」は「天皇の治世」のこと。
「千代に八千代に」は「千年も幾千年もの間」。
「さざれ石の巌となりて」は「小さな石が集まって、大きな岩となるように」。
「苔のむすまで」は「苔が生じるほど長い間栄えていきますように」という意味。
美しい歌詞ですね。
<鹿島神宮>
【住所】茨城県鹿嶋市宮中 2306-1
【電話】0299-82-1209
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