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一年に一度だけの御開帳!観心寺の国宝・如意輪観音@大阪

  • 執筆者の写真: Asami
    Asami
  • 4月21日
  • 読了時間: 5分

更新日:4月22日


大阪府河内長野市の山あいに佇む観心寺(かんしんじ)。

大宝元年(701年)、役小角によって創建され、その後、平安時代の初め大同三年(808年)に弘法大師・空海が当寺を訪ねられた時、境内に北斗七星を勧請され、弘仁六年(815年) 衆生の除厄のために本尊・如意輪観音菩薩を刻まれて寺号を観心寺と改称されました。


ちなみに、観心寺が創建された大宝元年(701年)とはどんな時代だったのか。時代的には飛鳥時代(飛鳥時代は592年〜710年)ですが、主な出来事をご紹介。


大宝律令の制定(701年)

  • 大宝律令は日本初の体系的な法律。「律」は刑法、「令」は行政法や民法にあたる法典で、これにより天皇を中心とした中央集権国家体制が確立されました。

  • 藤原不比等らが中心となり、唐の律令を参考に日本の国情に合わせて編纂されました。


大宝の元号制定(701年)

  • 「大宝」という元号が定められ、元号制度が日本に定着するきっかけとなりました。


遣唐使の派遣(701年準備開始、702年出発)

  • 大宝律令の完成を受け、新しい国家体制を唐に示すことなどを目的に遣唐使の派遣が決定され、準備が進められました。実際に出発したのは翌年の702年です。


文武天皇(もんむてんのう)の治世(697年 - 707年)

  • 文武天皇の父は天武天皇と持統天皇の息子である草壁皇子(くさかべのみこ)。母は後の元明天皇(天智天皇の娘)です。つまり、天武系と天智系の血筋を継いでいます。

  • 15歳で即位しましたが、藤原不比等が実質的に政治を主導。25歳の若さで崩御。

  • 息子は後の聖武天皇。

文武天皇イメージ
文武天皇イメージ
山門
山門

一年に一度だけ!国宝・如意輪観音とのご対面


観心寺の本尊は、国宝・如意輪観音菩薩坐像(にょいりんかんのん ぼさつざぞう)。弘法大師空海が自ら刻んだと伝えられるこの秘仏は、普段は厨子の中に静かに安置されており、年に一度だけ扉が開かれます。

観心寺の如意輪観音菩薩坐像は、毎年4月17日〜18日のみ御開帳されます。


この2日間は、普段は非公開の国宝・如意輪観音菩薩坐像と対面できる貴重な機会となるため、全国から多くの参拝者が訪れます。


金堂
金堂


御開帳当日は朝から多くの人が訪れるため、時間帯によっては待ち時間が発生します。

整理券などは発行されず、金堂の外で並ぶ形式での順次案内でした。春の気候とはいえ、帽子や水分など軽い備えがあると安心です。


僧侶による丁寧なご説明あり


100名ごとに順番に金堂内に案内され、僧侶によるやさしい解説もあります。

国宝・如意輪観音像菩薩坐像

  • 像高は108.8cm

  • 平安時代作

  • 御開帳:毎年4月17日、18日

  • 仏像の特徴:六臂(六本の腕)、穏やかな微笑、優雅な姿、衣文の美しさ、秘仏だっため彩色が残っている

  • 如意輪観音は、如意宝珠と輪宝を持つ観音で、智慧、財福、福徳授与、安産、延命のご利益があるとされています。

国宝・如意輪観音菩薩坐像
国宝・如意輪観音菩薩坐像

霊宝館
霊宝館

霊宝館で出会う、もうひとつの“観心寺の顔”


如意輪観音の御開帳のあと、ぜひ立ち寄りたいのが霊宝館。ここには、観心寺が誇る数々の仏像や曼荼羅、書物などが大切に保管・展示されています。

なかには、南朝ゆかりの天皇の遺品や、密教法具、時代を感じさせる書状など、普段は見られない歴史の宝物も。



忠義の名将・楠木正成との深いゆかり


観心寺は、忠義の名将・楠木正成(くすのき まさしげ)ゆかりの寺でもあります。

正成はこの寺を菩提寺とし、戦勝祈願や作戦会議に訪れたとされます。

霊宝館では、楠木正成やその子・正行(まさつら)に関する文書や肖像画も見ることができます。


楠木正成

  • 楠木正成は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけて活躍した河内国(現在の大阪府)の武将です。

  • 後醍醐天皇に忠誠を尽くし、元弘の乱でも活躍しました。特に赤坂城や千早城での籠城戦では、少ない兵力で幕府の大軍を巧みな戦術で翻弄したことで知られます。


元弘の乱(1331年 - 1333年)

  • 元弘の乱は、後醍醐天皇が鎌倉幕府の打倒と天皇親政の復活を目指して起こした倒幕運動およびそれに伴う内乱です。この結果、鎌倉幕府は滅亡しました。


建武の新政1333年

  • 鎌倉幕府を倒した後醍醐天皇は、天皇を中心とする新たな政治「建武の新政」開始しました。

  • しかし、公家を重視し武士の慣習を軽視した政策や、恩賞の不公平などから、武士層の強い不満を招きました。


南北朝時代1336年 - 1392年

  • 足利尊氏も建武の新政に不満を抱き、1335年に離反。尊氏は楠木正成・新田義貞らを破り京都を制圧すると、光明天皇(北朝)を擁立しました。

  • 後醍醐天皇は吉野(奈良県)へ逃れて南朝を開き、これによって朝廷が二つに分裂する南北朝時代の動乱が始まりました。


湊川の戦い(1336年)

  • 楠木正成は一貫して後醍醐天皇に忠誠を尽くし、南朝方として足利尊氏と戦いましたが、湊川の戦い(みなとがわのたたかい)で敗れ、弟の正季と共に自害しました。

  • この戦いで足利尊氏軍が勝利し、建武新政府が崩壊。室町幕府が樹立されました。


境内に残る「建掛塔(たてかけのとう)」は、彼が建立しようとした三重塔の未完成跡。志半ばで散った忠臣の意志が、今もそっと残されています。



北斗七星に願いを ― 観心寺の星塚


本堂の裏手には、「星塚」と呼ばれる不思議な石組みがあります。これは空海が据えたと伝わる北斗七星の配置を模した七つの自然石で、「寿命を司る」「運命を導く」とされる北斗信仰の祈りの場。









 

観心寺 

【住所】大阪府河内長野市寺元475

【アクセス】南海高野線「河内長野駅」よりバスで約15分

【時間】9:00〜17:00

【拝観料】一般 300円、御開帳時の特別拝観料 1,000円

御開帳毎年4月17日〜18日

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